院長の大友孝信紹介

おおとも歯科院長アートインプラントセンターおおとも歯科の院長:大友孝信
(おおとも たかのぶ)です。昭和42年生まれの40歳代です。

生まれは東京都板橋区、幼年期から青年期まで埼玉県で育ち、歯科医師となって東京に住み、現在は水戸市在住です。水戸市出身の妻との縁で、水戸市に住む事になりました。

実は、大友家の本家は、茨城県磯原にあります。現在私が、茨城県にいるもの何かの縁あっての事だと思います。

私の少年時代の夢は、「ヨットで太平洋横断」でした。小学校の卒業文集にはそう書きました。冒険好きなのは今も変りません。他人と同じ事をやるのが、自分らしくないと思っています。だから個性的な歯科医院を作ろうとしているのだと思います。

趣味は、旅行と魚釣りです。仕立て船にのって海に出ます。腕前は、ビギナークラスですが、楽しければでOKです。


【院長の最近の学術発表】  ・・・全部インプラント関連です o(^v^)o

第11回茨城県歯科医学会  『GBR法におけるβ-TCPを使用するn-PTFEメンブレンの有用性』
第21回日本顎咬合学会     『GBRにおけるn-PTFEメンブレンの有用性について』
第12回茨城県歯科医学会   インプラント一次手術における静脈内鎮静法のすすめ』
顎咬合学会誌     『GBRにおけるn-PTFEメンブレンの有用性―電子顕微鏡を用いた研究』
第13回茨城県歯科医学会   『当院における口腔内写真への取り組み例』
第15回茨城県歯科医学会    『医科用CT応用による三次元インプラント術』
適応症拡大の為のインプラント実践セミナー2008で基調講演 『歯科医院におけるインプラント治療術』
Simplant ACADEMY Conference Japan 2008で歯科医師向けにサージガイドフォーローアップなどの講演
Simplantフォローアップセミナーで歯科医師向けインプラント診断法の講習会の講師として登壇
USC(南カリフォルニア大学歯学部)の研究員代表の一人として日本歯科医学会に登壇(優秀賞獲得)
gIDE/UCLA の場でロマリンダ大学教授のジョセフ・カンの前で症例発表
gIDE/UCLA の場でUCLA(州立カリフォルニア大学)インプラントディレクターのサーシャ・ジョバノビッチの前で症例発表し、教授から「エクセレント」との評価を頂く
元アメリカ審美歯科学会会長マーチャック(南カリフォルニア大学)の前で症例発表

【院長の学習歴】・・・インプラント関連のみ記載

1995ベーシックコース
1999スウェーデンハルムスタット中央病院(インプラントオブザベーションプログラム終了
1999ステップ-バイ-ステップS.P.I.コース
2003Novum(ノバム)クリニカルコース
2004ドイツ研修(インプラントオブザベーションプログラム)
2004ベルギー・Materialise社研修(SimPlant・SurgeGuide・Certificate取得)
2005アメリカ研修(ノーベルバイオケアー・ワールドカンファレンス)
2007アメリカ研修
2008ポルトガルのマロークリニッにてAll-on-4研修終了
2010南カリフォルニア大学歯学部(USC)ジャパンプログラム終了
2011 gIDE/UCLA プログラム終了

インプラント講師として

以上最近の私の専門的な一面を紹介いたしましたが、たまに患者さんから「何故、歯医者になったのですか?」と聞かれる事がありますので、その事を中心に書きたいと思います。

私の父は医師でした。私の少年時代は、父の医院と自宅が同じ土地にある事もあって、よく薬のプロパーさん(製薬会社の方)などと接する機会がありました。その方によくこう聞かれました。
「将来は、お父さんみたいなお医者さんになるんでしょ。」と、その度に幼い私は反発していました。『江戸時代じゃあるまいし、何で親の後を継ぐんだよ!』と・・・
だからこそ、『では、何をやるのかな?』と小学生のうちから真剣に考えていました。そして、子供ながらに色々な大人をみると、その人の職業と未来の自分を重ね合わせて、あーでもない。こーでもない。と考えていました。
そんなときに出会ったのが地元の埼玉県で開業していたある歯科医師でした。その先生はカッコよかったのです。患者さんに向ける生き生きとした笑顔が印象的でした。そして、当時は珍しい外車に乗っていましたし、週休1日の時代に、日曜日以外に木曜日も休診日にしてゴルフを楽しんでいました。それを見て歯科医師にあこがれるようになりました。最初の動機は、何か良い暮らしが出来そうな職業でいいなぁという感じでした。当時小学生の私は、まだ、〇〇の為にとか、使命とかは考えていませんでした。

そして、私は、歯科大学の入学を目指し、12歳で親元を離れ。全寮制の私立中学校に入学しました。埼玉県の秀明学園です。そこで6年間過ごし、歯科大学へ入学しました。まだインプラント治療が無かった頃の話です。

歯科医師になってから間もなく、私の人生を変える電話が鳴りました。

学生時代の親友から『インプラント治療の講習会に行こう!』という電話です。講習費用は給料よりも高かったのですが、講習を受け、インプラント治療の素晴らしさを知ってしまったのです。

『インプラントの専門医になりたい。』いや、『専門医でなくても開業歯ながら、専門医レベルの治療がしたい。』本気で思い込んでしまいました。

しかし、その時代は、大学病院でさえ、2校しかインプラント治療をやっていませんでした。開業医で、しっかりとしたインプラント治療をやっている先生は新宿の河津寛先生くらいしか知りません。
河津寛先生に手紙を書いて、手術の見学をさせて頂きました。後は、がむしゃらに本を読んで勉強する訳ですが、当時インプラント治療の専門書は、1冊しかありませんでした
スウェーデンのブローネマルク教授が書いて、小宮山弥太郎先生が訳した分厚い本です。
読めば読むほど、インプラント治療の素晴らしさが感じられたものです。何回も読み込みました。それだけに、数年経ってから、ブルーネマルク先生や小宮山弥太郎先生に挨拶し、握手して頂いた時は嬉しかったです。小宮山弥太郎先生は「日本のインプラント治療の父」と言われていますが、私もそう思います。

とうとう平成10年に開業する訳ですが、その当時に出会ったのが、小宮山先生とも親しい有坂先生です。私の一番の恩師です。現在のアートインプラントセンターおおとも歯科があるのは、その先生のおかげです。よく、一緒に海外研修に行き、日本では学べない事を学びました。経験豊かな有坂先生に導かれながら現在の私があると思っています。

現在は、水戸市で開業しながら歯科医師向けにインプラントセミナーの講師をやらせて頂いておりますが、セミナー講師を引き受けた理由は、『若い歯科医師に私のノウハウを伝える事が、私を育ててくれた先輩方の恩返しになる』と思うからでです。

素晴らしい先生や患者さんとの出会いの中で、私が大切にしているものは、とにかく、妥協せずに正しいインプラント治療を続けていくという事に尽きます。

正しい治療とは何か?答えはありません。でも探し続けます。妥協した時にその“旅”は終わります。

今の私は、正しいインプラント治療と予防歯科を普及させる事に使命を感じています。私が死ぬまでにやらなければならない仕事がこれです。
ここまで読んでくれた方だけに、こっそりと、私の好きな言葉を三つ教えましょう。

『継続は力なり』

『最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは変化できるものである』

『勝者は勝つ方法を探し、敗者は言い訳を探す』