院長の大友孝信紹介
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生まれは東京都板橋区、幼年期から青年期まで埼玉県で育ち、歯科医師となって東京に住み、現在は水戸市在住です。水戸市出身の妻との縁で、水戸市に骨を埋める事にしました。 実は、大友家の本家は、茨城県磯原にあります。現在私が、茨城県にいるもの何かの縁あっての事だと思います。 私の少年時代の夢は、「ヨットで太平洋横断」でした。小学校の卒業文集にはそう書きました。冒険好きなのは今も変りません。他人と同じ事をやるのが、自分らしくないと思っています。だから個性的な歯科医院を作ろうとしているのだと思います。 趣味は、旅行と魚釣りです。仕立て船にのって海に出ます。腕前は、ビギナークラスですが、楽しいのでOKです。 【院長の最近の学術発表】 ・・・全部インプラント関連です o(^v^)o 第11回茨城県歯科医学会 『GBR法におけるβ-TCPを使用するn-PTFEメンブレンの有用性』 【院長の学習歴】・・・インプラント関連のみ記載 1995ベーシックコース
以上最近の私の専門的な一面を紹介いたしましたが、たまに患者さんから「何故、歯医者になったのですか?」と聞かれる事がありますので、その事を中心に書きたいと思います。 私の父は医師でした。私の少年時代は、父の医院と自宅が同じ土地にある事もあって、よく薬のプロパーさん(製薬会社の方)などと接する機会がありました。その方によくこう聞かれました。 そして、私は、歯科大学の入学を目指し、12歳で親元を離れ。全寮制の私立中学校に入学しました。埼玉県の秀明学園です。そこで6年間過ごし、歯科大学へ入学しました。まだインプラント治療が無かった頃の話です。 歯科医師になってから間もなく、私の人生を変える電話が鳴りました。 学生時代の親友から『インプラント治療の講習会に行こう!』という電話です。講習費用は給料よりも高かったのですが、講習を受け、インプラント治療の素晴らしさを知ってしまったのです。 『インプラントの専門医になりたい。』いや、『専門医でなくても開業歯ながら、専門医レベルの治療がしたい。』本気で思い込んでしまいました。 しかし、その時代は、大学病院でさえ、2校しかインプラント治療をやっていませんでした。開業医で、しっかりとしたインプラント治療をやっている先生は新宿の河津寛先生くらいしか知りません。 とうとう平成10年に開業する訳ですが、その当時に出会ったのが、小宮山先生とも親しい有坂隆一先生です。私の一番の恩師です。栃木県で最初にインプラント治療をやったパイオニアで、全国的に有名な先生なのですが、威張る事無く、人間性の素晴らしい歯科医師です。現在のアートインプラントセンターおおとも歯科があるのは、その先生のおかげです。よく、一緒に海外研修に行き、日本では学べない事を学びました。経験豊かな有坂先生に導かれ、現在の私があると思っています。 素晴らしい先生や患者さんとの出会いの中で、私が大切にしているものは、とにかく、妥協せずに正しいインプラント治療を続けていくという事に尽きます。 正しい治療とは何か?答えはありません。でも探し続けます。妥協した時にその“旅”は終わります。 今の私は、正しいインプラント治療と予防歯科を普及させる事に使命を感じています。私が死ぬまでにやらなければならない仕事がこれです。 『継続は力なり』 『最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは変化できるものである』 『勝者は勝つ方法を探し、敗者は言い訳を探す』 |

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